錦職昭彦
修会教材
ミラノ・スカラ座管弦楽団 指揮・・リッカルド・ムーティ
合唱指揮・・ロマーノ・ガンドルフィ
台本・・フランシスコ・マリア・ピアーヴェ
エルナーニ・・プラシド・ドミンゴ
エルヴィーラ・・ミレッラ・フレーニ
ドン・カルロ・・レナート・ブルゾン
ドン・ルイ・ゴメス・デ・シルヴァ・・ニコライ・ギャウロフ
ヴェルディは一連のリソルジメント運動にかかわるオペラから脱却を考えていた。丁度その頃、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場支配人カルロ・モチェニーゴ伯爵からヴェネチアの謝肉祭に合わせて、新作オペラの依頼がくる。
ヴェルディは次作の構想を一人でめぐらす。雄大であること、情熱的であること、多くの事件が絡み合いロマン的に、そして最後は簡潔に・・このような構想を伯爵に打ち明ける。数日協議の結果「エルナーニ」が候補に挙がりヴェルディは了承する。
台本は伯爵の仲介で台本作家、詩人のフランチェスコ・マリア・ピアーヴェを起用することに決め、「エルナーニ」(1844/03)の台本作成を依頼する。これ以降ヴェルディ=ピアーヴェのコンビで多くの作品を生み出した。詳しくは拙著「ヴェルディ」P85に著しています。
「エルナーニ」原作はヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo1802~1885)である。ここに描かれている人物、事件のキー・パーソンはフィリッポ2世の父親スペイン王カルロス1世、スペイン王から神聖ローマ帝国皇帝に即位しカルロス5世となる若き時代の話である。
ユゴーはなぜこの題材を戯曲に纏めたか?ヴェルディはどうだったのか?
ユゴーは「エルナーニ」を1830年に発表している。当時、フランスの政治は1815年ナポレオン失脚後、王政復古を経由1830年パリ7月革命へと政治が激変した時代にこの「エルナーニ」が、続いて「逸楽の王=王様はお楽しみ」が1832年に発表した。当然これらの作品について検閲が厳しく、また文学界にも強い政治の圧力が掛かってくる。
ユゴーは王政に対して強い反感をもって執筆していた。まさに、それが反乱者をも許す慈悲深いカルロス5世=神聖ローマ帝国皇帝を描いて、他国の王は立派ですよ~、とフランス政府、フランス国民へ痛烈に批判し訴えた。
史実の王は「遍歴の王」とあだ名されたカルロス1世、戦争に明け暮れ、人民を殺戮、領土を拡張してゆく欲望の王である。
歴史上の人物、事件をユゴーは脚色しストーリーを作り上げたが、当時フランス文学界では<古典主義かロマン主義か>で大揺れの真っ只中にあり、「エルナーニ」公演劇場が、さながら戦場の有様を呈した。所謂「エルナーニ事件」である。ユゴーはフランス・ロマン派の先頭に立ち、ロマン主義の路線を引いた事は有名な話である。
ヴェルディ、フランチェスコ・マリア・ピアーヴェによる「エルナーニ」主な登場人物エルナーニ・・今は反逆者の群れの頭目になっているが前史がある。彼はアラゴンのサラゴサに住む大公爵の息子ドン・ジョヴァンニである。(第3幕で語る)スペイン2大王国カスティーリャ、アラゴンは1479年ス
ペイン国家として統一、ドン・カルロ=カルロス1世が統治している。旧アラゴン国の一領主であった父親が政変に巻き込まれドン・カルロ=カルロス1世の父親に殺される。息子エルナーニは復讐を
誓って反逆者、山賊の群れに入っている。エルヴィーラとはサラゴサ時代から相思相愛の仲。・・ドラマティック・テノールエルヴィーラ・・アラゴン王国の血をひく貴族の家柄に生まれ、シルヴァの姪で
ある。エルナーニとは相思相愛の仲だったが、エルヴィーラの父親の死後、シルヴァはエルヴィーラを嫁として迎え、その家系の人々をも、シルヴァが後見人として迎え入れる準備が整っていたがドン・
カルロ=カルロス1世の横恋慕にあい、彼女の争奪戦が男性三人で繰り広げられる。ソプラノ・ドラマティコ・ダジリタドン・カルロ・・エルヴィーラに一目惚れ。彼女が反逆者エルナーニと相愛の関係にあることも知っているが権力で愛を成就させる。しかし国王ドン・カルロ=カルロス1世が神聖ローマ帝国皇帝=カルロス5世となり、反逆者、エルナーニ達を解放、許す慈悲深い皇帝となる。そしてエルナーニ、エルヴィーラの結婚を許す。しかし、そこへシルヴァが来る・・・バリトン、リリコ・ドラマティコ(所謂ヴェルディ・バリトン)ドン・ルイ・ゴメツ・デ・シルヴァ・・アラゴン王国の一部を領有する大公(スペイン統一後の称号で最高位のもの)で、エルヴィーを嫁に、一族をも傘下に入れる、一石二鳥を目論む。ある時、シルヴァは恋敵エルナーニの窮地を助けるが、この信義に対してエルナーニは角笛をシルヴァに渡して「私が死ぬのをお望みの時はこの角笛を吹いて下さい。すぐ死にます」と誓う。第4幕終了前、皇帝の恩赦を受けエルナーニ、エルヴィーラの結婚式の最中にシルヴァはエルヴィーラを取られた復讐に角笛を吹く・・・バリトン、パッソ・プロフォンド(やや深みのあるバリトン)
オペラ「エルナーニ」について・・
ヴェルディ第5作目「エルナーニ」になってアリア=メロディ・ラインが徐々にではあるが前四作品より流麗になり、聞きやすくなってきた。主役4人にほぼ同じようにアリアを与えているので主役4人の歌唱力がこのオペラの巧拙を左右する。
公演に際しは、この主役4人揃えるのは大変な事であるため、公演回数が少ないのも頷ける。中でも歴史上実在の人物ドン・カルロ=カルロス1世から神聖ローマ帝国皇帝=カルロス5世になるこの役は所謂ヴェルディ・バリトンの声質、歌唱力が要求される。この教材ではレナート・ブルゾン(Renato Bruson)が歌っている。素晴らしいヴェルディ・バリトンである。幕を追うごとに完璧に近づく。エルナーニ役のプラシド・ドミンゴの声がかすむ程の場面もある。
レナート・ブルゾンの横顔をみてみよう。
レナート・ブルゾン(Renato Bruson1936/01/13~)・・彼自身が語っている。
私はパドヴァの片田舎、グランツェ(地図で調べたがなかった)というところで生まれました。百姓の家庭ですが、いわゆる小作人農家であり、家族は4人、父、母、姉と私で極貧の農家でした。
8歳の時、母は破傷風で死亡。姉は親戚に引き取られ、父は再婚し、父と一緒に再婚先へ引っ越しました。
14歳の時、地元の司祭から教会でオルガンを習いました。この司祭はオペラ・フアンで、ある晩、司祭はヴェルディ没後50年で、今晩ラジオで「ナブッコ」が放送されるので来なさいということで、わたしは喜んで参りました。これがオペラとの初めての出会いで、私の生涯が決定されたのです。

その後1952年ヴェローナ野外劇場で「ジョコンダ」(マリア・カラスの)を観、強烈な印象を受けました。歌手になりたい。と思うようになりパドヴァの音楽学校の試験を受けました。結果、私の声に審査員全員が将来性のある声質と認められましたが、兵役の通知が来ました。入隊地はトリエステでした。除隊後1961年スポレートのコンクールに応募、優勝し劇場で歌う権利を獲得しました。翌年同劇場での「トロヴァトーレ」ルーナ伯爵でデビューしました。そして居を首都ローマに変え、オファーをまちましたが、ちょい役しかありませんで5年の歳月が流れました。
1967年やっとパルマから「運命の力」ドン・カルロのオファーがありました。
この時の相手役テノールはフランコ・コレッリで大いに期待のかかった公演でした。又この時メトロポリタン歌劇場から新人発掘の任を受けていたロベルト・バウアーも来ていて、彼から賛辞の言葉をいただきました。そしてメトの総支配人ルドルフ・ビングのオーディションの手配をもしてくれました。ここから私の本格的なキャリアが始まったのであります。
しかし、彼は人生を振り返る。1950年~68年まで18年間はひどいものでした。随分一人で苦しみました。
これが私の性格に尾を引いたのです。警戒心が強く、無口で閉鎖的な人間になったのです。私を知らない人は私を尊大な人間、傲慢、気取っている。と言われました。だが、そうではないのです。私を完璧なまでに孤独にしたのは,この身に沁みついた苦悩なのです。と語る。
彼は苦み走った端正な顔立ちである。そこに穏やかなこの上なく深い人間味を讃えた目が光る。彼は今やバリトンの王者、ベルカントものを歌わせたら、彼の右に出る者はいない。圧倒的な美声、気品を保ちながらあらゆるニュアンスを表現しうる多彩な音色、ポルタメントの優雅さ、レガートの清らかさをもたらす滑らかな発声など、多くの美点を持っている歌手は近年他にはいない。
パルマ市は彼を「ヴェルディの騎士」に選出した。
参考文献「スカラ座の名歌手たち」レンツォ・アッレーグリ著小瀬村幸子訳 音楽之友社
合唱について、
前作「ナブッコ」で<わが想いよ、金色の翼に乗って行け!>「イ・ロンバルディ」での<おぉ主よ、生まれ故郷の家から>は、祖国への哀愁、哀惜が詰まった美しくメランコリックな混声合唱であるが、「エルナーニ」第3幕で歌われる合唱<カスティーリャの獅子が目覚めんことを>は、がらっと雰囲気が変わり勇壮な男声合唱で、ユニゾンで唱われる。この力強い勇壮な合唱がイタリア人を奮い立たせ、リソルジメント運動の一役を担うがヴェルディにとっては、まさかの出来事であった。ヴェルディはここまでの自作品について合唱の効果を存分に発揮、妙味、美しさ,力強い勇壮さを表現<合唱の父>と呼ばれるようになる。
聖書と植物・・神が造られたミルト(mirto)=ミルトスについて
「エルナーニ」第4幕、エルナーニとエルヴィーラの婚礼が終わり二人は新婚の部屋へ・・その時、角笛の音が聞こえる・・・仮面をつけたシルヴァが現れる。エルナーニ・・「俺のミルト(銀梅花)と糸杉を取り換えに来たな!」このセリフは聖書から引用されているが、聖書とは反対の事を言っている。・・つまり生命の危険が差し迫った現状を表現したセリフである。
イザヤ書を見ると「茨に代わって糸杉がおどろに代わってミルトが生える。これは、主に対する吉兆のしるしとなる。それは、とこしえに消し去られることがない」とあり、祝福が約束されている。
ミルトは地中海沿岸原産の常緑低木で、花が結婚式などの飾りに使われ「祝いの木」とも呼ばれている。別名「マートル」「銀梅花」とも呼ばれる。
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